京都人も知らない!ミステリー?京都のどん兵衛の不思議?
京都のどん兵衛はなぜ薄味?
私が昔昔その昔、東京の大学へ行った時、
お腹がすいてもラーメン屋さんばかりで
食べたいものが見つからない・・・
あっ!数少ないうどん屋さんを見つけた
うれしくて食べようと入った。
なんと、うどんが真黒でイカスミみたい!!
イカスミスープの中に白い物体が見え隠れ!!
これより、黒いスープが多い
味も香りのないうどんにはじめて会った。
なんだこりゃ??
が初体験のショックでした。
それ以来、東京でうどんは食べていません(笑
さて
京都の人が関東に行くと、
まずうどんのつゆの色、味の違いに戸惑うという。
関西うどんは色のない透明の出汁です。
かつおと昆布の香りが良くて匂いで食べます。
黄金色の薄味のつゆに親しんでいる京都人は
黒くて濃い味のうどんつゆには違和感をおぼえてしまうようだ。
この京都人の薄味好みは、
かつて宮中や公家で行われていた
調理法からきているのだという。
で・・・・・・
平安時代、宮中や公家での料理は各人の味覚を
配慮して味付けを最小限にとどめ、
それぞれが醤油や塩などの調味料を加えて
好みの味にして食べていたという。
京料理はこの伝統に受け継ぎ、万人に合わせられる
薄味が特徴となり、
それが現在の京都での
家庭料理「おばんざい」へとつながっていったのである。
こうした流れは、全国共通のイメージが強いカップ麺にも、
しっかり反映されている。
たとえばカップうどんの代表格「どん兵衛」は
関東と関西で味が違う。
関東圏で売られている
「きつねうどん」は醤油の風味が強く
ダシもカツオを基本味としているのに対し、
京都で売られているものは昆布の割合を
多くしてダシのきいた薄味のつゆに仕上げている。
それぞれ食べ比べれば分かるのはもちろん、
つゆの色からして両者の違いは明らかである。
「緑のたぬき天そば」も東西でつゆの味が違う。
こうした、きめ細かい心配により関東の人も関西の人も
何の違和感なくカップうどんを美しくいただけるというわけだ。
定食食堂があるようですね。
*口コミ!
お土産としても意外に好評なのが、
関西限定どん兵衛。
コンビニでも買えるので、お土産屋さんに寄る暇がなかった
ときなんかによく買って帰ります。
値段の割りにかさもあるので、人にあげても喜ばれます。
京都人も知らない!ミステリー?しば漬けは平家悲劇
しば漬けの名づけ親は悲劇のヒロイン?
目にも鮮やかな赤紫、そして紫蘇の香りが清々しい
京漬物といえば、しば漬けである。
茄子やみょうが、きゅうりなどを塩と
紫蘇で漬け込んだ漬け物だ。
しば漬けのふるさとである
京都の北の郊外・大原は雪深い土地で
冬には交通が遮断してしまうほどであった。
その大原の人々が夏の間に新鮮な野菜を
漬け込んで保存食としたのが、
このしば漬けの始まりだといわれている。
「しば漬け」の名は、当初「紫葉」漬けと
呼んでいたのが「紫葉」漬けに転じたものだそうだ。
紫蘇でつけた美しい紫色が特徴な
しば漬けにぴったりの名だが、
これを名づけたのは意外にも、
平氏滅亡の隣に一人生き残った
悲劇のヒロイン建礼門院徳子だと言われている。
建礼門院徳子は、平安時代後期に権勢を振るった平清盛の次女で1171年に高倉天皇の中宮(皇后と同等の后)となり、
のちに安徳天皇を産む。やがて、
源氏の蜂起によって劣勢となった平氏は
壇ノ浦の戦いで再起をかけるが、敗れてしまう。
徳子の母は、まだ幼い安徳天皇を抱いて
壇ノ浦に入水自殺しました。
あとを追って入水した徳子だったが、
源氏側に救出され皮肉にも生き残ってしまう。
母と息子に先立たれ天涯孤独となった徳子は、
京都・大原の寂光院で尼となり、
一族の菩提を弔う日々を送ることになった。
そのとき、泣き暮らす徳子をなぐさめようと、
大原の人々が徳子に届けたのが自家製の漬け物だった。
当時、高貴な人々にしか使われなかった紫という色に加え、
酸味のある上品な味わい、そして大原の人の優しさに
感じ入った徳子は、これに「紫葉」漬けの名を下したのである。
そう聞くと、しば漬けがどこか、人の温もりを
感じさせている優しい食べ物に感じられるというもだ。
京都には、お茶ずけの専門店があります。
1000円くらいでお漬物が何種類も出てきます。
お茶が鉄瓶に入れらて、安いかどうかはわかりません。
おいしいかどうかもわかりません(笑
*口コミ!
京漬け物で有名な「西利」は斬新なメニューが好評。
漬け物サンドとかパスタとか、
とくに京都駅地下のザ・キューブ店
の漬け物天ぷらのうどんがオススメ。
薄味でさっぱり味。京都駅に行ったときは寄ってみて。
京都ミステリー?京都は上菓子屋と饅頭屋が
京都では上菓子屋と饅頭屋は区別しなきゃいけないってホント?
「京都といえば京菓子!!」と思わず叫んでしまう
和菓子ファンも世のなかには多いことだろう。
京菓子といってもいろいろなものがあるが、
京菓子とは正確には高度な技術を持つ専門の職人に
よって作られる菓子のことである。
これらはいわゆる「上菓子」「銘菓」と呼ばれるもので、
供物や慶事、茶道などに用いられる。
これに対し、饅頭や団子、おはぎなどは日常の
おやつ用の菓子として区別される。
そして、京都では和菓子屋も用途に合わせて
区別されているという。
上菓子を買う場合には「上菓子屋」さん
家族で食べるおやつやちょっとしたお土産などは
「おまん屋」さんで買うというのが京都人の常識だという。
「おまん」とはお饅頭のことで、京都では愛着を込めてそう呼んでいる。
さらにもう一つ、お餅や餅菓子、餅米を使ったお赤飯なども
売っているのが「お餅屋」さんだ。
これらの和菓子屋が、いい塩梅に点在しているのが
京都の町。京都の生活では、これらのお菓子屋さんをうまく使い分けて、
様々なシーンに合わせた菓子を選ぶセンスも必要なのだ。
また、京都の和菓子には季節感を伝えてくれる役目もある。
雛祭りにはひらぎり、
夏の始まりには水無月、秋にはおはぎ、冬は亥子餅・・・、
これらを店のショーケースで見て春の訪れを感じたり、
冬支度を気にしたりするのが京都の暮らしなのだ。
和菓子屋の使い分けが生まれてきたもの、納得できるというものだ。
しかし、このような区別も2.30年ほど前から少しづつ
消えてきつつある。個人経営が多い「おまん屋」が減って、最近では
大手の「上和菓子屋」も茶菓子を出したりするようになってきているようだ。
ハレ(慶事)とヶ(日常)の場を区別するという
京都らしい習慣がなくなりつつあるという少し寂しい気がする。
*口コミ!
明治30年に作られた歴史ある鎌餅が名物の「大黒屋鎌餅本舗」しっとり餡をなめらかな求肥で包んだ絶妙な味が人気。求肥にくるんであるので2~3日後も軟らか。でっち羊羹、懐中しるこも絶品。おみあげにいかがでしょうか。
京都人も知らない!ミステリー?ビーフカツの妙!?
京都でカツといえば、ビフカツがスタンダードスタイル?
京料理といえば、豆腐や鱧料理などの純和風料理が思い浮かぶ。
ところが意外にも京都は全国屈指の牛肉消費量を誇る、
牛大好き王国である。
それゆえ、京都で肉といえば一般的に牛肉を指し、
トンカツでおなじみのカツも京都では
ビフカツことビーフカツレツを指す。
これはもちろんトンカツと同じように
小麦粉やパン粉をつけて油で揚げた料理であり、
いわばトンカツの豚肉を牛肉にかえて作った料理だ。
関東では聞きなれないビフカツだが、
じつは関西のみのメニューというわけではなく
関東でも洋食の花形メニューだった時代がある。
明治初年に日本でも普及したビフカツは関東でも
大正時代までは「カツ」を注文するとたいてい
ビフカツが出てくるほどポピュラーだった。
ちなみにトンカツは1895年東京銀座の
洋食屋・煉瓦亭が売り出したのが最初とされている。
ビフカツは明治末期のは人気メニューとなり、
大正期にはコロッケ・カレーライスと並んで
三大洋食と称されるまでに普及していった。
しかし、関東で人気を博していたビフカツはその後、
なぜか廃れていってしまう。
『ニッポン再発見』(文藝春秋)によると、
その理由の一つは明治時代の日清・日露戦争のおり、
牛肉が缶詰となって戦地に送られたため、
国内の牛肉が不足し豚肉が注目されるように
なったからではないかという。
新しいもの好きの東京では、こうした流れから
豚肉がまたたく間に人気を博しカツも
ビフカツよりもトンカツのほうが一般的に
なっていった可能性は高い。
これに対して関西では、ご馳走のビフカツの人気が
そのまま衰えず今日に至るのではないかというのだ。
もう一つ注目すべきなのは、西日本に牛肉の産地が多いことである。
ご当地の食材をたくさん食べるのは当然といえば当然である。
真相はともかく京料理に飽きたらぜひ「カツ」を注文してみてください。
*口コミ
京都の洋食屋が西陣で50年続く
「千疋屋」サフランライスのうえにベーコン入りスクランブルエッグ
にチーズ入りビーフカツを重ねデミグラスソースをかけた
欧風ビーフカツ丼は濃厚で香ばしい!
祇園にあるビフカツサンドなども有名です。
芸能人ご用達だとかで、分厚い肉で有名ですが
おみあげ用で、とても高くて値段を聞いて
たしか3000か5000円だったかな?
ひえ~~私のような貧乏人には買えない金額でした。
京都人も知らない!ミステリー?松花弁当
高級弁当のルーツを探る
懐石の弁当として知られる松花堂弁当は、
高級な弁当の代名詞。花見や茶会をより華やいだものに
してくれる美しい美味しい弁当である。
松花弁当の発祥は絵の具の具箱から!?
緑の高い四角形の箱はふた付きで、
開けると十字の仕切りのなかに、
ご飯、焼き物、煮物、刺身などが彩り鮮やかに盛り付けられ、
パッと花開いたような華やかさのある
何とも食欲をそそられる弁当である。
それにしても、松花堂弁当とは風情たっぷりだが、
変わった名前である。
松花堂とはいったいどういう意味なのだろうか。
また、この弁当はどうやって生み出されたものだろうか。
じつは全国的に有名なこの弁当の起原は京都にある。
江戸時代初期、京都に庵を結ぶ僧で
文化人でもあった松花堂昭乗は、
農家の種子入れの四角い箱を十字に仕切り煙草盆、
また絵の具箱として使用していた。
あるとき、これに料理を盛って客に出したところ、
それを見てひらめいた京都の老舗料亭・吉兆の創業者が田の字形の器に
料理を収め、昭乗の名前をとって松花堂弁として出したのが、
この高級弁当の始まりだといわれている。
仕切りのあるこの箱を使うことで、魚介類の乏しさを補うために
編み出された京料理の繊細な味が最後まで混ざることなく
楽しめる。
もちろん見た目も美しい。
しかもそれを弁当として持ち運べるとあって
松花堂弁当は評判となったのである。
*口コミ! 本場の松花堂弁当を食べたいと、
吉兆・松花堂店に行ってきました。
併設されている庭園と美術館も見事ですが、
高級料亭のお味に感動。季節に合わせた弁当の中身が美しい。
吉兆は、何年か前に食品の使いまわしで問題になったこと覚えている方はいらっしゃいますか?
あの時、私はこんな高級料亭でもこんなことをするのか??!と
とても驚きました。
あの、「ささやきおかみ」お元気なのでしょうか?
その後のマスコミ報道もありません。
料亭は、今でも「嵐山」にあります。
もう、いくこともないでしょうが!!
京都人も知らない!ミステリー?下鴨神社結界のみたらし団子
下鴨神社名物・みたらし団子は、
なぜひとつだけちょっと離れて刺さっているにか?
焼いた団子に甘辛いタレをつけたみたらし団子は、
団子を5つずつ串に刺し、
3本1組で売られていることが多い。
この団子の味は老若男女、誰にでも好かれるが、
京都発祥だということは案外知られていない。
そして、今では全国どこにでもあるこの団子、
よく見ると京都では少し変わった刺し方をしている。
京都でみたらし団子の元祖と呼ばれる店の団子は
5つのうち一番先の団子がやや大きめで、2つ目以降は残り4つとは
少しあいだを空けて刺してあるのだ。
じつはこの刺し方には、ある意味が込められている。
この団子はもともと、下鴨神社の葵祭や御手洗祭のときに、
氏子の家で作られた供え物だった。
下鴨神社には御手洗池という池があり、
伝承によると穂醍醐天皇がこの池で水をすくったところ、
泡がまず1つ浮き、
やや間があって4つの泡が浮き上がったのである。
この故事に倣い、その泡をかたどって作られたのがみたらし団子である。
御手洗池で御手洗神事(みたらい)
1年健康でいられるという
冷水の湧水に足をつけます。
つまり、あの変わった刺し方は泡の形をあらわしているのだ。
また、別の説によれば、少し大きな1つ目の団子は
人間の頭を、ほかの4つの団子は四肢をあらわしているという。
かつてはこれを神前に供え、厄除けの人形として祈祷を受けたのちに、
この団子を持ち帰って火であぶって醤油をつけて食べたといわれる。
人の体の悪いところを身代わりになってくれるという
同じ発想なのでしょう!
身代わりの「みたらし団子」だからこそ
おやつ代わりの「みたらし団子」ではありません。
神様の「みたらし団子」と思い心して
味わってください。(笑
現在も下鴨神社の門前では、この形のみたらし団子が売られているので、
独特な刺し方の団子の味を堪能してみてはいかがだろう。
*口コミ! 下鴨神社門前に店を構える「賀茂みたらし茶屋」がみたらし団子の元祖。店内で焼きたても食べられて3本(400円)
で、お茶付きなのもお得感あっていい。お土産は5本で525円。
甘さ控えめの秘伝のタレが絶妙です。
この茶屋で「みたらし団子」を食べると神様に守られていると思います。
この辺一帯は、結界を貼られている氏子の敷地ないですから。
この土地神さまは、とても力のある神様です!!
京都人も知らない!京都豆腐
美味しい京都の「通」になろう
★南禅寺の門前に豆腐店が多い理由は?
京都に行ったら一度は食べたいのが
本場の湯豆腐ですね。
最近では嵯峨野豆腐が有名ですが、
京都の湯豆腐といえば南禅寺でしょう。
豆腐は奈良時代、中国の唐に留学した僧たちが
持ち帰ったものだといわれている。
その伝来の歴史を伝えるかのように、
古くは「唐符」と記されていた。
なまぐさいものが禁忌とされていた禅寺で、
大豆とニガリで作られた豆腐は、
貴重なたんぱく源として
重宝され、いつしか精進料理に
欠かせない食べ物になった。
こうした経緯から、最初は寺で作られていた豆腐であったが、
やがて寺の門前に店を構えた豆腐屋が寺に
納めるようになっていったのだ。
京都では、早くから専業の豆腐屋ができたことに加えて、
良質の水に恵まれたこともあって
美しい豆腐がつくられるようになっていく。
豆腐は江戸時代末まで家庭で手作りされるのが普通だったが、
京都では室町時代にはすでに専業の豆腐屋ができていたという
のだから、その差は歴然といったとこである。
@水道橋は滋賀県の琵琶湖から引いている水の高架橋です。なぜ!ここでテレビの殺人事件のバックに良く使われているのか。と思ってしまう!
こうした経緯から、最初は寺で作られていた
豆腐であったが、
やがて寺の門前に店を構えた豆腐屋が寺に
納めるようになっていったのだ。
京都では、早くから専業の豆腐屋が
できたことに加えて、
良質の水に恵まれたこともあって
美しい豆腐がつくられるようになっていく。
豆腐は江戸時代末まで家庭で
手作りされるのが普通だったが、
京都では室町時代にはすでに専業の
豆腐屋ができていたという
のだから、その差は歴然といったとこである。
数ある豆腐料理のなかでも湯豆腐の店が南禅寺に増えたのは、
一説に南禅寺の門前で禅僧たちが副業として旅人に湯豆腐を
だしていたからだという。
これ以外にも南禅寺門前にあった丹後屋という店が
湯豆腐人気のルーツだという説もある。
丹後屋は東海道の入口にあたる
粟田口にあり、空前のブームだった江戸時代、
旅人たちはしばしばここに立ち寄り、
故郷や旅先で丹後屋の湯豆腐の
美しさを語ったことからその評判が
広まったともいわれる。
こうした時代背景に思いを馳せながら
湯豆腐で一杯なんていかがでしょう。
*京都で100年続く南禅寺豆腐「服部」の
おあげ寿司は京都の新しいファストフード。
稲荷寿司とは違う食感が魅力的です。
カレーしょうが味の三種があり、
二個も食べると満腹になります。
お土産にもいかがでしょう!
数ある豆腐料理のなかでも湯豆腐の店が南禅寺に増えたのは、
一説に南禅寺の門前で禅僧たちが副業として旅人に湯豆腐を
だしていたからだという。
これ以外にも南禅寺門前にあった丹後屋という店が
湯豆腐人気のルーツだという説もある。
丹後屋は東海道の入口にあたる
粟田口にあり、空前のブームだった江戸時代、
旅人たちはしばしばここに立ち寄り、
故郷や旅先で丹後屋の湯豆腐の
美しさを語ったことからその評判が
広まったともいわれる。
こうした時代背景に思いを馳せながら
湯豆腐で一杯なんていかがでしょう。
*京都で100年続く南禅寺豆腐「服部」の
おあげ寿司は京都の新しいファストフード。
稲荷寿司とは違う食感が魅力的です。
カレーしょうが味の三種があり、
二個も食べると満腹になります。
お土産にも最適。